まさに冬!といった感じ。筋状の雲ってこの事でしょ?
しかし、なんでこんな色使いにしたかねー前の方が絶対良かったよ。
見づらい。
ちょっと気になるニュースとか・・・
衆議院選挙が始まりました。一体何のための選挙なのかよく分かりませんが・・・なんか色々言ってるようですが、いまいち信用できません。ガソリンの値段下げてください。
そんな中、非常にホットな話題が飛び込んでまいりました。
「政治への強いあこがれから立候補を届け出たが、家族から猛反対された。自分自身にも投票しない」こんなことを言って選挙戦を辞退する候補者が出てきました。どうやら、供託金も戻ってこないとか・・・何もしないで300万円捨てるそうです。世の中にはお金持ちはいるもんですね。
しかも、某公務員だったのに立候補したもんだから自動失職だそうで・・・他人事ながらこの後どうなってしまうのか心配です。
今年も、あと28回寝るとお正月です。その前にクリスマスがあります。クリスマスと言えばサンタさんですが、アメリカの「北アメリカ航空宇宙防衛司令部」通称NORADでは、毎年クリスマスの時期になるとサンタさんの位置を追跡して教えてくれるサービスを行っています。ここは本来24時間体制で人工衛星の状況や地球上の核ミサイルや戦略爆撃機などの動向を監視する所なのですが、クリスマス時期だけ特別にこんなことをしているそうです。
ん?サンタさん?本当にいるの?
むかしむかし世界がモノクロでロシア人に角と尻尾がついていた頃、あるスーパー百貨店が「サンタクロースに電話しよう!」という特別企画を考え、ビラを刷りました。ところが、電話番号を大胆に誤植してしまったのが、事の始まりです。
時は1955年、場所はコロラド・スプリングス、広告主はシアーズ、電話番号は…北極にあるサンタの自宅でもなければ、ベガスの別宅のキラキラグリッターの電話の番号でもない。子どもの願いごとを聞くスタッフをはりつけた特設ダイヤルのつもりが、中央防衛航空軍基地(コーナッド:CONAD)司令長官ハリー・シャウプ大佐のホットラインの番号だったのです!
1本目の電話が入った時にはボスもさすがに怒ったようです。まあ、ウィチタにミサイル落下したとか、ソ連の潜水艦がサンフランシスコ湾に浮上したという通報ならともかく、相手は6歳の男の子で、クリスマスに欲しいものをサンタに言付けるよう言ってきたんですからね。―「ボクも核ミサイルと核潜水艦が欲しいよ」とかなんとか。
また別の男の子から電話がかかってきて、ようやく事情が呑み込めた大佐ですが、「大陸間弾道核ミサイルの弾頭に括り付けたトナカイにでもお願いしやがれ!」と怒鳴る代わりに、心やさしい大佐は今度子どもからかかってきたら全員にサンタの居場所を極座標で教えてやれ、と部下に指示を出したのです。
これが毎年イブの晩になるとサンタを衛星、レーダー、戦闘機で追うサンタ追跡のはじまり。1958年、CONADは「北アメリカ航空宇宙防衛司令部(ノーラッド:NORAD)」という米・カナダ共同事業になりましたが、もうその頃までにはマスコミで随分騒がれて毎年子どもたちから電話が殺到するようになっていたようです。
今も毎年この時期になると何百人というボランティアがコロラドスプリングスのCheyenne Mountainやピーターソン空軍基地に詰めて電話やサイトでサンタの居場所を教えています。
今年も沢山の人たちがサンタさんの居場所を探して楽しむことでしょう。みなさんもいかが?こちらへどうぞ
今日は色んな嫌な事があったよ。まあ、たまにはこんな日もあるさ。
こういうのフランス語でなんて言うんだっけ?
昨日初雪でした。いよいよ冬ですね。今年はどんな冬になるかな?あんまり雪はいらないです。
なんか、秋が短い気がするのはなぜでしょう?栗駒山荘に行きたいし、那須高原も行きたいし、須川温泉も行きたいです。春かな?
こんな世の中なので多いのは分かるんですが、愛想笑いが多すぎる。とりあえず笑っておけみたいなのは嫌なんだよね。
それが当たり障りの無い対応だと思ってるだろ?むしろ腹立つよ。
中瀬にある石ノ森漫画館が再開しました。津波で大きな被害を受けていたのですが、修復作業が終わって昨日、ようやく再開にこぎつけたそうです。
再開にあたっては沢山の関係者やボランティアの方々の努力があったと聞いてるし、本当に大変だったと思います。が、修復・再開のための予算は約7億6千万円だそうです。それを聞いたときははたして今そんな大金かけて修復する必要あるんだろうか?と疑問に思っていました。そんなお金があるんならもっと他の事に使って欲しいんだけど・・・というのが正直な気持ちなのです。
でも、昨日テレビで再開のニュース見てたら沢山の人が訪れたそうで、ある意味、石巻中心部のシンボル的な意味合いもあってくる人が多いのかもしれません。これがきっかけで沢山観光客がやってきて、街が賑わって、いろんなことが盛り上がれば、その方が良いのかもしれないなって思うようになってきました。
実際にあの場所に行ってみると思うのですが、まだまだ被災直後の状況から変わっていません。瓦礫や壊れた家屋はなくなりましたが、道路や堤防などはあまり修復されていないし、内海橋なんかはそのまんまだし。先日も、復興マルシェで演奏した時に山形から来たっていう人に聞かれたので、当時の状況を説明したけど、自分で説明しながら、すごく悲しい気分になってしまいました。
なので、これを機に街に活気が出て、綺麗に復旧・復興して、震災が過去の記憶になってくれればいいのになって思いました。
追記・・・内海橋は漫画館の再オープンに合わせて歩道を修復したそうです。すごい急ピッチで。