よく、「普通は・・・」とか「常識では・・・」とか会話の中に出てくる時の「普通」「常識」ってなんなのかと思う。スポーツの「ルール」とか「作法」ならわかる。でも、生活するうえでの「普通」とか「常識」って一番厄介だな~って思う時が多い。
人って皆我侭な生き物だし、自分が一番って考えると思う。だから、「普通」とか「常識」って有りえないと思ってる。それでも価値観とか考え方が似たような人達がいるから「夫婦」とか「会社」とか「サークル」が出来ると思う。
だから、一番重要なのは「他人の考え方を尊重する」だと思う。自分の考え方を押し付けたり、人の意見を聞かなかったりするのは良くないんじゃないかって思ってる。
同時に、お互いの考え方をぶつけ合って「議論」することは自分の考え方を見直す良いことだと思う。
だから、理想は「他人の考え方を尊重しつつお互いの考え方をぶつけ合ってより良い考え方を見つける」ではないでしょうか?
まあ、それが一番難しいことなんでしょうけど・・・
なんでこんなクソまじめな事を書いたかというと、「宋文洲のメルマガの読者広場: アンフェアなロジック」という記事を目にしたからです。
なるほどな、と思える文章もあり、?となってしまう文章もあり。
どうしても周りと溶け込めない、自分は浮いているのでは?自分だけがおかしいのか?そう考えてしまう時に「個性」「価値観」「考え方」が同じ人など誰一人居ないと考えると随分気分が楽になるのではないでしょうか?そういう自分も「常識」「普通」に縛られる生活をしているのですが・・・
どうしても気になるコメントがあったのですが、
「仕事と遊び(=休みを取って)を両立して豊かな人生を・・・。
仕事をきちんと終わって気分を切換えて、長い休日をとって遊ぶ。休暇を取り易くするという環境は必要であると思いますが、この考え方は欧米のものですか?たまに会社を休まないと仕事人間のように言われるのはなぜ?
小生(他にも居られると思いますが…)にとっては大きなお世話なのです。
休みを取らないと気分転換できなくて精神病になってしまう人もいるかもしれませんが、小生の場合、趣味はと聞かれると、
山(スキー、登山)、音楽、仕事と答えます。・・・仕事が趣味で何が悪いといったところです。確かにサービス残業などの悪習慣はなくすべきですが、長時間仕事にのめり込んでいる人間が豊かでないなどと言われるのは心外です。人には一日24時間しかなくそのほとんどを仕事に没頭していますが別に苦にもなりません。
もうそろそろ欧米型の人生が豊かですばらしいなどというのは止めにして欲しいものです。
小生から見れば、人生の大半の時間を消費する仕事に楽しみを見出せない人達のほうが可愛そうに思えてしまいます。
仕事が好きならそれでいいじゃないですか。「もうそろそろ欧米型の人生が豊かですばらしいなどというのは止めにして欲しいものです。」
これは大きなお世話では?
「小生から見れば、人生の大半の時間を消費する仕事に楽しみを見出せない人達のほうが可愛そうに思えてしまいます。」
これも大きなお世話。
他人が「可愛そうに思えて・・・」この時点で傲慢さが溢れ出ています。
なんでこんなに熱くなるかというと、自分もこんな環境に居るからです。ああ嫌だ嫌だ。